自堕落から抜け出せない、抜き出したい、ウジウジとした日記

日々の自己嫌悪ためておくと潰れそうなので、吐き出して見ることにしました。

感化されやすい曖昧な感情

現代社会において、うだうだとした日々を過ごしている昨今。情報過多な世界で生きているせいか、無限に時間をつぶすことができてしまう。この日記を書く前もやれ、twitterや、ブログ記事、ニュースサイトや、記事まとめを見ていたところである。無限自分の活力と時間を奪っていくそれらだが、同時に活力を与えてくれるときもあったり、なかったり。。。まあそれはさておき、そういったものを読んだときはメンタルが弱っているせいもあるのか、どうも悪い方向で感化されやすいことが多い。他者の不幸話とか、作品に対する愚痴だとか、そういったものは決して自分に対して言葉が飛んで来ているわけではないのに、自分が何故か悪いことをしたような気分にさせられる。感受性が豊かだといえば聞こえはいいが、悪く行ってしまえば自分に芯が一本立ってないとも言えよう。

他者に感化されやすくなってしまったのは、父親が怒るときによく手をあげて来たせいだろう。とにかく顔色を伺って生活していてため、他人に対して必要以上に気を使ったり、自分がなにか悪いことをしたのかと顔色を伺ってしまうのだ。こんな不幸自慢よくある話だ、なんて一蹴されてしまうかもしれないが、私にとってはPTSDばりの心の傷である。そのせいか、未だに他人が怒られているときは自分のことのように思ってしまうし、自分の意志に反して涙が勝手に流れて来てしまう。感化されやすいというのは他人の感情をよく理解できるなんて言われるが、いっそ理解できないほうが自分の心には楽だったんじゃないかとよく考えたものだ。

結果的に私は他者の影響が自分の心にダイレクトに刺さってしまうのである。そのため、情報過多なこの世界において、どうでもいい情報にまで、他人にどうしてこんなことが言えるんだろうとか、相手のことを考えていないのだろうかなどといったことを考えてしまいがちである。きっと大半のそういう文章を書いた人は、その言葉の意味を考えていないだろうし、覚えてすらいないのだ。だと言うのに私という人間はその人の言葉に一喜一憂し、悲しみ、落胆する。よそはよそ、うちはうちといったことが正直必要なのだろうということを、頭は理解はしているのだが、心がついていかない。

ああ、あわよくば私も他人の感情がわからない機械にでも生まれればこんな気持も抱えなかったんだろうなぁ。。。